迷いの正体 ― 迷っていたのは、答えを知っていたから

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自分はずっと、迷いの人生を生きてきたように思っていました。
師には恵まれるのに、そしてよき教えにも出会うのに、そこにずっとはいられない。

また別の学びや別の活動へと興味が移っていく。

自分には、「これ!」というふうに何かの専門性を極めることも、何かに決めることもできない。

自分には確かな軸が持てず、いつも迷いだらけの人生だと。

感覚が、いつも次の一手を教えてくれていた

でも、今日、親友とメッセージをやり取りしていて、はたと気がつきました。
思い返せば、どんなときも「次にどうしたらいいか」は、ちゃんと自分はわかっていたんだなと。
からだと心が、それをちゃんと教えてくれていました。

けれどその感覚は、目の前の恩師の言葉や、親やお世話になった人、
はたまた世の常識と合わないことも多い。

だから、自分の選択に自信が持てず、
どうしたらいいのかわからないと、
あたかも迷っているかのように感じていただけだったのだと。

自分は「どうしたらいいのかいつも決められない」と思っていましたが、
本当は、ちゃんと決めていた
ただ、それに賛同してもらえないとか、
これを言ったら教えに背くことになるとか、
悲しむ人がいるかもしれない――

そんな思いの狭間で、
自分を押し通すのはわがままなのではないか、と。

でも、どうしてもその道はもう自分は進むことができない。
だからこそ、最後に残るのは「自分の感覚を信じるしかない」というところだったのです。

つまりそれは、道が見えない悩みではなく、自分という確固たる軸がないから決められないのでもなく、
「わたしの感覚」と「他人の真実」との狭間に立っていた葛藤だったのだと。

今ならわかります。
あのズレは、わたしの真実と他人の真実の違い。
その境目で、ただ小さな波紋が立っていただけだったのです。

“安定”とは、動かないことではない

水は留まらず、器に合わせて形を変えながら、しかし水であり続けます。
わたしの“安定”もそれと同じ。

変化の中でも、内なる感覚を信じていられること。
それが、わたしの軸でした。


暮らしで確かめる、内なる答え

畑の時間が、食卓でひと呼吸になる。体の感覚が、いつも答えを教えてくれる。

畑で土に触れ、旬をいただく。
出来立てを温かいうちに味わう。

そんなささやかな所作の一つひとつが、
わたしの内側の声を、もう一度信じる練習になっている気がします。

いまでこそ、畑も借りることができ、身近に土を感じる暮らしになりましたが、
関東にいたころはそんなことは到底無理でした。

それでも、できるところから――
旬のものをいただく、炊きたてのごはんを丁寧に味わう、
そして、できるだけ早く眠る。

そんなふうに、身体の声を聴きながら、自分にとっての“ちょうどいい”心地よさ
大切にしてきました。

そうして日常の中で自分を整えていくことが、
結果的に、人生の大きな変化を迎えるときにも、
「自分の感じたことを信頼する力」につながっていたのだと思います。

だからこそ、
**迷っているように見えても、わたしはずっと“感じながら進んでいた”**のだと、
ようやっと気が付きました。

迷っていたのではなく、
自分の感覚を信頼して道を決めるということに、
すごく躊躇いがあったのだと思います。

そこには怖さもたくさんありました。
だからなかなか一歩を踏み出せなくて、
いつも迷っているふうに感じていたのだなと――。

いま、ここ、わたしから。
今日の空気、土の香り、ひと口のごはん。
そんな身近な日常が、わたしを導いてくれる。

感じながら生きることは、迷わないことではなく、
どんなときも、自分の感覚を信頼していくということ。

#今日の一滴
今日もまた、暮らしの中の小さな一滴が、
わたしの感覚を育て、道を照らしてくれる。