着物もまた、セルフケアの一つ ― 暮らしがまるごとセルフケアになるという実感

暮らしがまるごとセルフケアになる
暮らしがまるごとセルフケアになる――
そう実感するようになったのは、普段着として着物を着るようになり、自分で縫うことを学び始めてからでした。
最近では、仕事のときも、田んぼや畑のお手伝いに行くときも、味噌を仕込むときも、散歩に出かけるときも、すっかり着物が定着しています。
周りからは「着物好きな人」と見られていると思いますが、実は自分の中では「趣味」という感覚とは少し違うのです。
着物はご飯とお味噌汁のようなもの
「着物って趣味なんですか?」とよく聞かれます。
でも、私にとって着物は、ご飯とお味噌汁を毎日食べることに近い感覚。
炊きたてのご飯やお味噌汁を外で毎日食べようとしたら、手間もお金もかかるし、なにより“毎日の暮らし”には合いません。だから多くの人が家でご飯を作るように、私にとって着物は暮らしに欠かせない存在なのです。
普段着として着続けると、必然的に枚数も必要になりますし、お直しや洗いの工夫も求められます。で、本気で着物を普段着としたいなら、これは自分で縫えないとなと、ある意味必然に迫られて、探しに探して、今の先生と出会うことができました。(私が関東にいたとき通っていた小袖教室はこちら → ゆったり楽〜な小袖生活 )
手間こそ、セルフケアの時間


最初は着物を着るのにも時間がかかりました。
けれど、その一つひとつの手間が、いつのまにか心を落ち着かせ、呼吸が静まり、身体を整えてくれる時間になっていて、それがある意味当時の自分にとっては瞑想のようなものになっていたなと、今は感じています。
縫うこと、お直しすること、丁寧に洗うこと。
自分が着物を着ることで、整う感覚があり、そのほうが仕事がしやすく、日常が送りやすいからと、結果縫うことまではじめたわけなのですが、それは、確かに手間がかかることではあるのですが、決して「面倒なこと」ではなく、私にとってはその時間じたいが、案外と楽しみの時間であり、心地よい時間となり、鍼灸の仕事とはまた違う繊細な手仕事で、すごく生理機能が整う感覚があり、いつしかセルフケアになっていると気が付いたのでした。
鍼灸師として人に触れる仕事をするようになってから、自分の心身を整えておくことの大切さを強く感じてきました。瞑想や朝の散歩と同じように、着物もまた私を快適に保ってくれる大切な習慣となっていったわけなのです。
衣のもつ力
暮らしの土台は「衣・食・住」と言われます。
その中の「衣」がもつ力は、想像以上に大きいもの。
着物を通じて感じている安心感や快適さは、私にとって暮らしを整える基盤であり、そしてセルフケアの大切な一部です。
その衣を整えるための、時間や手間も含めて、いつしか自分にとっての大切な時間となっていたのでした。
着物は趣味じゃなくて、暮らしそのもの。
気づけば、着物もまた、セルフケアの一つになっていたのでした。


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